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東京高等裁判所 昭和41年(ネ)1170号 判決

控訴人(被告) 国

被控訴人(原告) 須田ふみ子

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否は、被控訴代理人において「原審原告須田賢二は昭和三七年八月二三日死亡し、被控訴人がその相続をした」と述べ、当審証人中川与一の証言を援用し、乙第一六号証の一・二の成立を認め、控訴代理人において、右被控訴人主張事実を認め、「本件旅行(従業員の所属する場所から半径八キロメートル以内の区域内の旅行)に関する日額旅費は運賃日当に替えて支給されるものであり、日当は、目的地である用務地域内を巡回する場合の船車賃等の諸雑費及び旅行に伴い当然出費を要するその他の諸雑費を支弁するために、支給するものである。ところが、須田の就業環境は本件旅行によつて少しも変えられることがなく、同人はその旅行先で通常の勤務場所におけると同様に勤務、行動したのであつて、本件旅行には運賃及び運賃諸雑費はもちろん、その他の諸雑費も全く必要がなかつたのであるから、被告がその日額旅費について調整し、全額支給しないこととしたのは当然の処置である」と述べ、右乙号証を提出し、当審証人白山正己、杉田顕一の各証言を援用したほかは、原判決事実摘示の通りであるから、これを引用する。

理由

請求原因第一、二項の事実、第三項前段の事実は当事者間に争いがない。

当裁判所は、本件旅費請求権は、控訴人の旅費支給決定をまたないで発生するものと解するものであり、その理由は原判決のそれ(理由二)と同一であるから、これを引用する。

次に控訴人の減額調整の抗弁について判断する。基本労務契約細目書IID30の(3)に控訴人主張のような旅費調整の規定のあることは当事者間に争いがないけれども、成立に争いのない乙第五号証、第六号証の一ないし四、原審証人水野忠、元山清人、清宮清司、原審並びに当審証人中川与一、杉田顕一、当審証人白山正己の各証言、弁論の全趣旨を総合すれば、駐留軍従業員の旅費は、基本労務契約締結以前は、国家公務員の旅費に準じて支給され、在勤地内の旅行の日額旅費としては最低日当額の三分の一ないし二分の一が支給されていたが、基本労務契約においては、在勤地内の旅行の日額旅費についても実費弁償的な面が強調され、右金額から約一割を減じた額が一応の基準として定められたこと、従来は、在勤地内の旅行の日額旅費が調整されて、減額されあるいは支給されなかつた例はほとんどなく、昭和三三年ごろ基地から二、三百メートルしか離れていないEMクラブに営繕工事に行つた事例について日額旅費を支給すべきか否かが問題になり、全駐留軍労働組合横須賀支部と労務管理事務所とが話合つた結果、EMクラブを同一基地内の施設とみなして支給しないこととなつたが、その際両者の間に在勤地内の旅行の日額旅費については、基地からごく近距離の場所にある長官官舎やEMクラブへ出張した場合を除き、調整しないことにするという了解ができたこと、本件旅行のように電気工事等のため基地から田浦マガジン(本件基地からの距離は二・一キロメートル)へ出張した場合は、基本労務契約締結以前から昭和三六年三月まで日額旅費が規定通り、調整されないで、支給されていたことが認められ、右事実に当事者間に争いのない被控訴人主張の調達庁労務部長の通達が日額旅費を除く旅費について調整する場合の原則を規定している事実と在勤地内の旅行の日額旅費が時間数またはキロ数を基準として定められている事実とを合わせ考えれば、旅費調整の規定は本件旅行のような場合の日額旅費については適用しない趣旨で定められたものと解するのが相当である。

何故ならば、日額旅費という特殊な支給形式が設けられたのは概ね支給額が低額であることが予想される場合につき実費弁償的処理をすることは事務処理を煩瑣にし能率的見地からみて得策ではないという考慮に基くものであつて(前記各証拠ことに当審証人白山正己の証言参照)、この支給形式を存続させながら減額調整を行い得るとすることは右にみた日額旅費の存在理由を空虚にするものであり、この制度と矛盾することになるからである。

そうして、基本労務契約が改訂されていないことは弁論の全趣旨により明らかであるから、控訴人の右抗弁は採用することができない。そうしてみれば、本件旅行について日額旅費を支給することは須田と控訴人との間の労働契約の労働条件であることは明白であるから、控訴人がこれを一方的に支給しないこととすることは許されないものというべく、控訴人が須田に対し本件旅費二〇〇円及びこれに対する訴状送達日の翌日であることが記録上明白な昭和三六年六月二二日から右完済に至るまで年五分の割合による法定の損害金を支払うべき義務を負担していたことは明白であり、被控訴人が同人の相続をしたことは当事者間に争いがないから、被控訴人は右債権を承継取得したものというべきである。

従つて、須田の請求を認容した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条を適用し、主文のように判決する。

(裁判官 近藤完爾 田嶋重徳 小堀勇)

原審判決の主文、事実および理由

主文

被告は原告に対し金二〇〇円およびこれに対する昭和三六年六月二二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者双方の求める裁判

原告訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求め、被告指定代理人らは、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二請求の原因

一、昭和三二年九月一八日、日本国とアメリカ合衆国との間で締結された基本労務契約(同年一〇月一日発効、契約番号DA―九二―五五七―FEO―二八、〇〇〇)によれば、被告国は、アメリカ合衆国に対し、同国軍隊(以下米軍ともいう。)が日本国内において使用するために米軍側で随時要求する労務者を雇用して提供し、かつ右労務者に対する基本給、手当、旅費等の経費を負担すること、これに対し米軍側は右経費のうち基本労務契約ならびにその細目書IIに規定する範囲内で被告国の負担した経費を補償するものとされている。

原告は、右基本労務契約の締結前である昭和二一年八月一五日から、米海軍横須賀基地施設部PMに造船電機工として勤務していたものであるが、右契約の締結に伴い、被告国に引きつづき右契約上の労務者として雇用されることになつた。ところで右契約の第一八条には、この契約中の関係規定は就業規則および雇用条件の基礎となる旨規定されており、右契約(細目書を含めて。)の内容はそのまゝ原、被告間の雇用契約の内容となつたので、被告は原告の雇用主として、原告に対し右契約に定める基本給、手当、旅費等を支払う義務を負うものである。

二、しかして、右契約細目書IID節(旅費)の1(旅行許可証)によれば、労務者のすべての旅行は米軍側の要求にもとづき行うものとし、その旅行に対しては旅費が支給されること、同D節3i(1)(内国旅行―日額旅費)の項によれば、駐留軍労務者が正規の職務として測量、調査、検査、土木および営繕工事(施設および構内の維持管理作業)、またはこれらに従事し、かつ、これらの職務のためしばしば旅行する場合には、同節3のaからhまでに定める旅費、つまり運賃、日当、宿泊料、食卓料、転任、着後手当、扶養親族移転料等に替え、同契約に属し、かつその一部である細目書II、附表II、別表IIIに定める旅費が支給されることになつている。しかして別表IIIの1(在勤地内の旅行)(a)によれば八キロメートル以上一六キロメートル未満または、五時間以上八時間未満は七〇円、(b)によれば、その額は、一六キロメートル以上または八時間以上は一〇〇円である。

三、原告は昭和三六年四月一四日、一七日の両日、米軍の要求に基づいて、勤務場所である横須賀市所在米海軍横須賀基地を、いずれも午前八時に出発し、二〇分後に同市内の田浦マガジンに到着し、同所の営繕工事に従事した後、四月一四日は午後三時五〇分に同所を出て、四時一五分に勤務場所に戻り、同月一七日は午後三時五五分に同所を出て、四時三〇分に勤務場所に戻つた。

このことは、原告が前記基本労務契約の細目書IID節3i(1)に定める営繕工事に従事するため、八時間以上の旅行を二回行つたことになり、この結果原告は被告に対し前記附表II別表IIIの1、(b)に定める一回あたり一〇〇円この合計二〇〇円の日額旅費請求権を有することになる。

四、よつて、原告は被告に対し金二〇〇円および訴状送達の翌日である昭和三六年六月二二日から完済に至るまで年五分の割合による損害金の支払いを求める。

第三請求原因に対する被告の答弁および主張

一、答弁

原告の請求原因事実第一、二項記載の事実は認める。同第三項中、原告がその主張のような旅行をし、その旅費が前記労務契約の細目書IIによれば合計二〇〇円になることは認め、その余の点は争う。

二、被告の主張

1 駐留軍労務者が職務上の必要により軍の命令で旅行した場合に、雇用主たる被告が基本労務契約にもとづいて支給する旅費は、本来、旅行中に要した費用にあてるために支給されるもので、いわゆる実費弁償的性質を有するものである。しかし、通常、旅費規定におけるその支給額は、旅費計算上の煩瑣を避けるため、標準的な実費額を基礎にして、一応定額で定められているもので、本件細目書II附表II別表IIIの規定もその例外ではない。そのため、実際の旅行についてはその形態が多種多様であるので、当該旅行についての所要旅費額と旅費規定上の定額とが相違する場合が生じ、この場合には右定額を増減する必要があるわけである。

2 基本労務契約細目書IID節3o(3)は、右の趣旨にのつとり、労務者がA側(アメリカ合衆国側)から提供された交通機関、宿泊施設等を利用することにより、またはその他適当な理由により、D節に定めるところによつて支給される旅費がその旅行に必要な実費額に比して、不当に多額と認められる場合には、日本国側は、その実費額をこえると認められる旅費を支給しないことができると定め、右減額の調整を雇用主である被告の裁量に委ねた。

3 ところで本件二回の旅行はいずれも往復に米軍の提供した自動車を利用し、その他原告には現実になんらの出費も要しなかつたのであり、右旅行一回あたりの日額旅費一〇〇円この合計二〇〇円の定めは、これに必要な右実費額零円に比し不当に多額と認められるので、被告は原告に対し、右実費額を超える二〇〇円全額を支給しないこととし、本訴口頭弁論期日においてこの旨の意思表示をする。

4 しかして、旅費請求権は旅行の終了と同時に具体的旅費請求権が発生するものではなく、旅行終了とともに発生した抽象的旅費請求権にもとづいて旅行者たる駐留軍労務者からなされた旅費請求に対し、雇用主たる国が、米軍の旅行命令および旅行の事実の有無、旅行中に要した費用の算定ならびに前記のような特別事情の有無およびこれによる調整を行うかどうか等の確認決定をなした上、これに対し旅費を支給する旨を決定した場合に初めて旅行者の具体的旅費請求権が発生するものと解すべきである。

そうであるなら、原告の本件旅費は本訴において初めて請求されるものであるところ、右請求権は被告のなした前記減額調整によつて、なんら発生しなかつたことになる。

5 かりに旅費は旅行の終了により、一応定額の具体的旅費請求権が当然に発生し、雇用主たる被告の調整は既に発生した一定額の具体的旅費請求権の内容を増減する効力を有するにすぎないとしても、原告の本件旅費請求権は被告の前記減額調整によつて消滅した。よつて原告の本訴請求はいずれにしても失当である。

第四被告の主張に対する原告の答弁および再主張

一、基本労務契約細目書IID節3o(3)に、被告主張のような旅費調整に関する規定があること、原告が本件二回の旅行の往復に米軍側の提供した自動車を利用したこと、ならびに本件旅費は本訴において初めて請求するものであることはいずれも認める。しかしながら、本件日額旅費は前記細目書IID節3i(日額旅費)に規定する旅行の性質に対応し、その他の旅行に対する旅費と異り、個々の運賃、日当等にかえて、特に寡額が支給されるのであるから、旅費調整の対象たりえないものである。そうでないと、旅行には当然日当や運賃が伴うべきであるのに、本件では被告の減額調整によつて、これらが全く支給されない結果となる。ちなみに、昭和三二年一〇月五日付調達庁労務部長の関係都道府県知事宛「基本労務契約の解釈および運用について」と題する通達(調労発第一三五五号)によれば「労務管理機関が旅費(日額旅費を除く。)を調整する場合には、原則として次の各号に規定するところによること。(ア)旅費を減額して調整する場合、〈ア〉軍側より交通機関が提供された場合―運賃は支給しない。」と規定し、日当ならびに日額旅費を旅費調整から除いている。

二、かりに日額旅費に対する減額調整が許されるとしても、昭和三二年一〇月一日以後出発する旅行に対して適用がある調達庁「駐留軍労務者日額旅費支給要領」第八条第一項によれば、労務管理機関は同要領第七条の規定によること(日額表に掲げる日額旅費を支給すること)が当該旅行の性質上不当に旅行の実費をこえる旅費を支給することになると認める場合には、調達庁労務部長に具体的理由を添えて申請し、その承認を得て旅費を減額することができる旨規定されているところ、被告は右調整手続を経由することなく、本件減額調整をなしたものであるから、右調整は無効である。

第五原告の再主張事実に対する被告の答弁

一、原告の再主張事実第一項中、日額旅費が運賃、日当等にかえて支給されるものであること、ならびに昭和三二年一〇月五日付調達庁労務部長の関係都道府県知事宛「新基本労務契約の解釈および運用について」と題する通達に原告主張のような規定のあることは認めるが、その余の点は争う。右規定は日額旅費以外の旅費の調整に関する規定であつて、本件とは直接関係のないものである。

二、同第二項中、駐留軍労務者日額旅費支給要領第八条第一項に原告主張のような規定のあること、本訴における旅費調整で被告は右条項に規定する調整手続を経由していないことはいずれも認め、その余の点は争う。右支給要領は、国の行政機関内部における基本労務契約の各条項の統一的な解釈運用を図るため、その基準を定めた前記「新基本労務契約の解釈および運用について」と題する調達庁労務部長より関係都道府県知事宛通達の一部をなすものであつて、労務管理機関が基本労務契約細目書IID節3o(3)にもとづき個々の具体的な旅行について、旅費の調整をなす場合の国の行政機関内部における手続を定めたに過ぎないものであるから、この手続を経ないからといつて、直ちに被告の本件旅費調整の意思表示が無効となるものではない。なお右支給要領第八条の規定のあることは、日額旅費についても旅費の調整の行われる場合のありうることを示しているといえる。

第六証拠関係〈省略〉

理由

一、争いのない事実

請求原因第一項の事実(本件基本労務契約の内容ならびに原、被告の地位)、同第二項の事実(右基本労務契約細目書IID節および同細目書、附表II別表IIIの旅費に関する各現定の内容)ならびに同第三項中、原告が米軍の命令に従い昭和三六年四月一四日、一七日の両日、横須賀市内の勤務場所から、同市内の田浦マガジンまで旅行したこと、右旅行は基本労務契約細目書IID節3i(1)に該当する営繕工事に従事するための八時間以上の旅行であるところ、同細目書II附表II別表III(b)によれば、このような旅行に対する日額旅費は一回あたり一〇〇円と定められていて、右二回の合計金額が金二〇〇円であることは、いずれも当事者間に争いがない。

二、被告はそこで、たとえ原告が前記のような旅行をしたとしても、これによつて直ちに具体的な一定額の旅費請求権が発生するものではなく、被告側で原告に対し旅費の支給を決定した場合にはじめて原告の具体的な権利が発生するものであるところ、本件では被告はいまだ原告に対し、右の支給決定をなしておらず、むしろこれを支給しないこととして、その旨原告に通知したほどであるから、原告の本件請求権はいまだ発生していないものというべきであると主張する。

しかしながら、前記原、被告間の雇用契約の内容となつた基本労務契約細目書IID節のいわゆる旅費規定によれば、まずその第一項に「米軍側の要求に基づいて行われた旅行に対しては、旅費を支給する」との基本的な規定があり、これをうけて同細目書には旅行の種類、態様に応じて一定の旅費額が定められていて、たとえば、労務者が測量、調査、検査、土木ないし営繕工事に従事するため、しばしば旅行する場合で、その行程が八キロメートル以上一六キロメートル未満、または所要時間にして五時間以上八時間未満であれば旅費は七〇円、もし行程が一六キロメートル以上であるか所要時間が八時間以上であるならば一〇〇円とする(細目書IID節3i、附表II、別表III1、)との規定がある。また成立に争いない乙第二号証(細目書)によれば、鉄道賃、船賃、車賃等の運賃や日当はそれぞれ別表に掲げる定額を支給するとの規定(細目書IID節3以下)が認められるのである。しかも証人水野忠、同清宮清司の各証言と弁論の全趣旨とを総合すれば、駐留軍労務者が日額旅費を請求する手続としては、労務者は、米軍から旅行命令があると、ホアマンから右労務者の氏名、バツヂ番号、作業内容が記入してある作業カードを受取り、これを担当係員に提示して作業の開始及び終了の時間等の記入を受け、これを再びホアマンに返還するのみで、あとは所轄の渉外労務管理事務所員が一括して旅費請求の手続をとつてくれ、労務者の方で、その他に個々の旅行中に要した実費額の証拠資料等をとくに提出することなく、細目書に定める定額の旅費支給を受けていた事実が認められる。これによれば、本件細目書の旅費規定中、すくなくとも定額の旅費を定める旅費規定(たとえば日額旅費の規定)の趣旨は、駐留軍労務者の旅費計算上の煩雑さを避け、適正かつ迅速な旅費の支給を企図し、旅行の種類、態様に応じ、ひとまず標準的な実費額を基礎にして定額の旅費を定め、もしその規定に該当するような態様の旅行がなされれば、これに対応して掲げられている定額旅費を当然支給することとしたもの、つまり米軍の旅行命令にもとづく旅行の終了という事実があれば、実費を要したか否かの審査や、雇用主側の支給決定等をまたず、その旅行に対応する定額の具体的旅費請求権が当然に発生する旨を定めたものと解するのが相当である。そうすると、原告の本件旅行はいずれも一回あたり一〇〇円、この合計二〇〇円の日額旅費に相当する旅行であつたことは前記のとおりであるから、原告は、右旅行の終了時において被告に対し金二〇〇円の旅費請求権を有するに至つたものというべく、この請求権の不発生を主張する被告の抗弁はこの点で失当であるといわなければならない。

三、次に被告は、かりに原告の本件旅費請求権が旅行の終了により発生したとしても、被告の減額調整によつて消滅したと主張するので、これについて判断する。まず右減額調整権の根拠規定として基本労務契約細目書IID節3o(通則)の(3)に、「従業員が米軍側から提供された交通機関、宿泊施設等を利用することにより、またはその他適当な理由により、本節に定めるところにより支給される旅費が、その旅行に必要な実費額に比して不当に多額と認められる場合には、日本国側はその実費額をこえると認められる旅費を支給しないことができるものとする。」との趣旨の規定があることは当事者間に争いがない。右事実と前記認定事実によれば、本件日額旅費の規定も右調整規定と同一の節中に定められており、規定の形式上は日額旅費も調整規定の適用範囲内にあること明らかである。

原告は、日額旅費はその性質上減額調整できないものであると主張するが、この主張は次に述べる理由によつて失当である。すなわち、旅費は本来、俸給が勤務に対する報酬であるのと異なり、一般に旅行者が旅行中に要した費用にあてるため支給されるものでその当然の帰結としていわゆる実費支給ないし実費弁償を基本的な建て前とするものである。前述のいわゆる定額支給制も、実は旅費計算上の煩雑さを避け、迅速な旅費支給をはかるための便宜的な方策としてとられた制度であつて、多種多様な個々の旅行について所要実費額と定額旅費とに著しい差異が生じた場合には、当然本来の実費弁償の建て前から右定額を調整する必要が生ずるわけである。本件細目書の前記調整規定も、この趣旨にそつて定められたものと解され、これによれば、右細目書中本件調整規定と同一の節内にあるすべての旅費は、特別の制限規定が存しないかぎり、これを調整しうるものと解すべきである。なるほど本件日額旅費は前述のとおり細目書IID節3中の他の旅費種目である運賃、日当、宿泊料等と異なり、これらに替えて支給されるもので、いわば右各種の旅費を複合して一定額で支給されるものであるから、他の旅費種目とはある程度異なる内容、性質のものであるといえようが、しかし前記認定事実によれば、本件日額旅費の定額は前記運賃、日当等と同様に、距離や時間に応じ一応予想される実費額を基礎にしてこれを定めていることが認められ、同節中の他の旅費種目と本質的な差異を認めることはできない。このことは、たとえば日額旅費の支給の対象となるような旅行につき旅行者が雇用主から旅行中の交通機関、食事、被服等の一切を提供され、これがため旅行中の所要実費額と定額とに相当の差が生じたような場合、たとえ日額旅費といえどもこの定額を減額調整しうると解するのが前記実費弁償の建て前にそうものと考えられることからも明らかである。

また原告主張の昭和三二年一〇月五日付調達庁労務部長より関係都道府県知事宛「新基本労務契約の解釈および運用について」と題する通達(調労発第一三五五号)に、労務管理機関が旅費(日額旅費を除く)を調整する場合には、〈ア〉軍側より交通機関が提供された場合―運賃は支給しない、との規定があることは当事者間に争いがない。しかし同じく調達庁の駐留軍労務者日額旅費支給要領第八条には日額旅費を調整できることを前提としこの調整手続に関する規定がある事実(この点は争いがない)をあわせ考えれば、前記通達は一般に日額旅費を減額調整しえないとした趣旨とは解されない。

結局雇用主国は、基本労務契約細目書IID節3o(3)の規定にもとずき、本件日額旅費についても、当該旅行中の必要実費額と同細目書の定額との差額を明らかにし、それが不当に多額であることを証してこの部分の減額調整をなしうるものというべく、右調整権の行使により旅行者の定額旅費請求権はその限度において減縮消滅するものと解するのが相当である。

四、なお原告は、被告のなした本件日額旅費の調整は駐留軍労務者日額旅費支給要領第八条の手続を経由しない違法があると主張し、なるほど右要領第八条に日額旅費を調整する場合は、調達庁労務部長の承認を要するとの趣旨の規定があり、被告が右承認手続を経なかつたことは当事者間に争いがないけれども、成立に争いない甲第八号証と弁論の全趣旨とによれば、右規定は単に行政機関内部における事務手続を定めたもので、この手続は駐留軍労務者から関係都道府県の労務管理事務所を経由して旅費請求がなされた場合の手続であることが認められ、さらに原告は本件旅費を本訴においてはじめて請求するものであるとの事実(この点も争いがない)を考え合わせれば被告が右承認手続を経ることなく本訴口頭弁論期日に右調整の意思表示をしたとしても、その手続になんら違法はないと解される。

五、そこで被告のなした本件減額調整の意思表示の効力について検討すると、原告が本件二回の旅行とも、その往復に米軍の提供した自動車を利用したことは、当事者間に争いがなく、証人清宮清司、同水野忠の各証言によれば、往復に軍の自動車を利用すると、本件旅行先である田浦マガジンまでの運賃は全く不要であることが認められる。しかしながら、原告の本件二回の旅行とも、これに必要な実費額が全くなく零であつたとの被告主張事実については、これを証するに足りる証拠はない。もつとも証人清宮清司の証言によれば、同人は原告代理人の問に対し、「その時の旅行(目的地長井)も軍の車を使用しているのですか。」「そうです。」「実費は全然かかつていないのですか。」「かかつていません。」「実費がかからない点では長井も田浦も同じですか。」「同じです。」と答えており、これによれば原告の本件田浦マガジンへの旅行についても実費が全然かかつていないものと推認しうるかのようである。しかしながら本件二回の旅行の日額旅費一〇〇円の中には運賃、日当等に相当する費用が含まれていることは前記のとおりであり、しかもここにいう日当とは、旅行中の昼食代その他の諸雑費を賄うための旅費であつて、この諸雑費には、目的地の同一市町村内を巡回するための交通費や、通常運賃が最も経済的な通常の経路および方法によつて計算されるため、旅行者が現場巡回する場合時間的制約上、乗り継ぎ等の交通事情のゆえに最も経済的な通常の経路を経由できなかつたための運賃上の損失、および旅行中の履物等の修繕費等が含まれると解されるところ、前記清宮証人の供述の趣旨も、原告の本件二回の旅行と同種の田浦マガジンまでの旅行につき、昼食代その他の雑費が全くかからなかつた、とまでも述べているのではなく、その問答の経過からすると、単に往復の運賃雑費はかからなかつたとの意味で答えているのに過ぎないと解されるから、これをもつて前記被告主張事実の立証に供することはできない。

なお、日額旅費一回あたり一〇〇円中、本件では目的地までの往復運賃はかからなかつたのであるから、この限度での一部の減額調整は有効かということについて考えるに、この点についても次の理由によつてこれを認めることができない。けだし本件二回の旅行は細目書II附表II別表IIIの1(在勤地内の旅行)のうち「行程一六キロメートル以上または所要時間八時間以上の旅行に対し定額一〇〇円とする」との規定中いずれも行程に関係のない所要時間八時間以上の旅行に該当するのであるから、往復に軍の車輛を利用して運賃がかからなかつたとしても、直ちにこれに相当する額だけの減額を認めるというわけにはいかないからである。

要は、被告が本件在勤地内旅行の日額旅費を減額調整する場合には、前述のとおり被告において右定額と必要実費額との差額を明らかにし、かつそれが不当に多額であることを証しなければならないところ、本件ではこの点の立証がないから、被告の右抗弁は結局採用できない。

六、そうすると、被告は原告に対し合計金二〇〇円の日額旅費を支払う義務があるというべく、また本件訴状送達の翌日が昭和三六年六月二二日であることは本件記録上明白であるから、金二〇〇円とこれに対する右同日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による損害金の支払を求める原告の本訴請求は理由があるのでこれを認容し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(昭和四一年四月二八日横浜地方裁判所横須賀支部判決)

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